ハンドメイドホーム

2019年秋、文フリへ向けた育児日記

コインランドリー(夫の日記)

朝、妻と洗濯のことでギスギスしてしまう。わが家で洗濯は主に僕の家事になっている。これは話し合って決めた分担ではなく、近所のコインランドリーを頻繁に利用するようになってからの習慣だ。娘が保育園に通うようになってから、洗濯回数が増え、また僕らの部屋は日当たりが良くないため洗濯物が乾きにくいから、コインランドリーを使うようになった。妻がコインランドリーまで重たい洗濯物を運ぶのは難儀だろうということで、洗濯全般を僕が担った。妻は外出するのにもいちいち支度があり面倒だけれど、僕はそのへん無頓着なので、顔も洗わず家着でサンダルつっかけてコインランドリーまで行けちゃうのが理由だ。もうひとつ付け加えると、乾燥が終わるまでのあいだに散歩しながら缶ビールを飲むのが好きだからだ。

 

ところが僕は週半ばと週末にまとめて洗濯物を片付けるようになっていて、妻が必要としているタイミングに目当ての服が未洗濯のまま放置されてるケースが増えてきた。それでこの日妻は、自分でも洗濯をしようとしたのだった。今日は天気だったから、外干しでも乾くはずだし自分でやるね、という妻の善意と未洗濯問題への対処だった。

 

妻が洗濯しようとしたタイミングで僕は洗剤が切れていることを思い出し、「洗剤切らしてた!」と声をかけた。するとすぐさま妻は洗剤を買いに出かける。詰替用を買ってきた妻が洗面所の下の戸棚を開けると、そこに洗剤ボトルがない。僕はそのことを伝え忘れていた。前回の洗濯時、洗剤量が足りなかったので、ボトルに水を入れて使ったのだ。底に残っている洗剤を使い切るために、僕はしばしばこの方法をとる。ボトルももう半年くらい使っていたので、捨て時かな、と思っていてそのまま捨ててしまっていた。そのことを妻に伝え忘れていたのだ。

という説明をすると妻は「じゃあボトル買ってくる」とちょっと投げやりに言って再び外出しようとした。なんだかカッとなってしまった僕が「今日洗濯する気なかったし、やらなくていいよ」とぞんざいに言うと、分った、と言って話は終いになってしまった。僕からすると、洗濯は僕の領域になっていたので、勝手に侵犯され、そのうえ洗剤ボトルがないことを責められたような気になって不愉快だった。一方妻は、ひさびさに洗濯をやろうという気持を僕のせいでことごとく遮られ苛立っていた。お互いに言い分があった。でもやっぱり、僕が洗濯洗剤が切れそうなタイミングでちゃんと買置きしておけばよかっただけだし、誰でも家事をできるように整えておくのが、ほんとうの意味での家事なのだと思うと、自分が悪いなと思われた。

 

家事労働は難しい。